井手学太郎

古事記と日本書紀

(8)古事記の出雲神話は「出雲国造家」の神話か 〜古事記が排除する物部氏〜

蘇我氏と出雲国造家のつながり前回の記事では、古事記のもとになったのは、620年に聖徳太子と蘇我馬子が編纂した「天皇記(帝紀)」だという関根淳さんの説を取り上げた。根拠が明確で、説得力のある議論だと思う。だが、蘇我氏の「天皇記」が古事記になっ...
古事記と日本書紀

(7)古事記は蘇我氏が書いた「天皇記(帝紀)」か? 〜蘇我倉山田石川麻呂の加筆〜

帝紀とは何かここまで大和(おおわ)岩雄さんや三浦佑之さんの本を読んできて、古事記の序文が平安初期に(太安万侶の同族)「多人長」によって書かれた可能性があることは理解できた。だがどちらの本も、古事記の本文は飛鳥時代には概ね編纂が終わっていた(...
古事記と日本書紀

(6)出雲の四隅突出型墳丘墓とタケミナカタの「御柱」 〜ミホススミの悲劇〜

古事記の日本海文化圏日本書紀がスルーする「出雲神話」、なかでもオオクニヌシの大冒険を、なぜ古事記は詳細に描くのか。それを古事記には、律令国家が忘れ去ろうとしている「古層の語り」「古層の神話」を残す意志があるから———といわれるのが、古代文学...
古事記と日本書紀

(5)高天原と葦原中国のアジスキタカヒコネとアメノワカヒコ

倭にのぼらない大国主神古事記と日本書紀の大きな違いに、いわゆる「出雲神話」の扱いがある。誰でも知ってる「稲羽の白ウサギ」「八十神の迫害」「根の堅州国」「越の沼河比売との恋」といったオオクニヌシの大冒険は古事記にしかなく、日本書紀は無視してい...
古事記と日本書紀

(4)古事記の序文を書いたのは多人長 〜「天皇記・国記」になり損ねた古事記〜

古事記と日本書紀のヤマトタケル古事記の「序文」は平安初期に書かれた偽文書だが、古事記の本文は712年よりずっと古くから存在していた———といわれるのが、古代文学を専門とされる三浦佑之さんだ(『古事記のひみつ』2007年)。たとえばヤマトタケ...
古事記と日本書紀

(3)古事記は平安初期に成立した 〜古事記偽書説のアメノミナカヌシ〜

大和岩雄『古事記成立考』の古事記偽書説昔から古事記には「偽書説」がある。1973年に古代史家の大和岩雄さんが『古事記成立考』を出して「偽書説」を展開する前にも、中沢見明『古事記論』(1929年)、鳥越憲三郎『古事記は偽書か』(1971年)が...
古事記と日本書紀

(2)万葉集にはなく、古事記だけが使う「高天原」とは?

高天原のない日本書紀大まかなストーリーはよく似ていて、一見すると同じ神話体系のバリエーションにも思える記紀の神話パートだが、実際には冒頭からいきなり違っていたりする。天と地とが初めて分かれた開闢の時に、高天原に成り出でた神の名は、天之御中主...
古事記と日本書紀

(1)古事記と日本書紀のちがい(書いた人・読んだ人)

ひとくちに「記紀」というものの、古事記と日本書紀では握り寿司とちらし寿司、たこ焼きと明石焼きほど違っていて、きっちり区別していく必要があります。その違いは多岐にわたりますが、まずはその「成立」の違いから、サイトの「焼き直し」を始めたいと思い...
はじめに

長浜浩明さんの計算と古事記の崩年干支

神武東征は「河内潟」の時代このブログに何度もでてくる「長浜浩明さんの計算」とは、2012年に刊行された『古代日本「謎」の時代を解き明かす』という本の中で、著者の長浜浩明さんが計算した古代天皇の実年代のこと。それによれば、初代神武天皇の即位は...
はじめに

このブログについて

このブログでは、『ぼくらの日本書紀』という個人サイトの「焼き直し」をやっていきます。2019年春以来、にわかに古代史ファンになったぼく(井手学太郎)につき合わされて、日本書紀にまつわる神社・遺跡・古墳などを訪問してきたおっさんたちの旅の記録...