邪馬台国

(7)伊都国の三大王墓と三つの謎 〜三種の神器・ヒメヒコ制・倭国王帥升・女王墓〜

「倭国」連合の盟主とされる邪馬台国にとって、もっとも重要な構成員が「伊都国」だろう。そこは帯方郡の使者が宿泊する場所であり、邪馬台国が派遣する統率者「一大率」が常駐して、諸国を取り締まる場所でもある。魏志倭人伝によれば、伊都国は代々「王」が...
邪馬台国

(6)纒向遺跡は邪馬台国ではない 〜『考古学から見た邪馬台国大和説』関川尚功〜

纒向遺跡は卑弥呼の都か邪馬台国の所在地については、九州説の場合は「魏志倭人伝」の中だけで完結させることができるが、大和説(畿内説)の場合は、原文の方位を2回、「南」から「東」に改変(書き換え)する手続きが必要になる。それでそこを突っ込まれる...
邪馬台国

(5)邪馬台国は筑後市/八女市/みやま市か 〜『露見せり「邪馬台国」』中島信文〜

「行」とは何か前回の記事では、海洋学の専門家である龜山勝さんが、魏志倭人伝の「水行」をどう読んだかを紹介した。中国古典の比較検討を交えての結論は、それは海ではなく「川を行く」というものだった。今回紹介するのは龜山さんとほぼ同じ結論で、倭人伝...
邪馬台国

(4)「水行」は海を行くことではない 〜魏使の目的は冊封国の選定〜

朝鮮半島の「水行」への疑問邪馬台国はどこにあったのか。この鍵を握るのが、魏志倭人伝の「水行」という表現の解釈であることは間違いない。例えば手元の『倭国伝』(講談社学術文庫)では「船で行く」と訳されているが、ただし、それは「海を行く」ことでは...
邪馬台国

(3)南北軸と東西軸のふたつの「倭」 〜平野邦雄『邪馬台国の原像』〜

『魏略』と『魏志』の倭前回の記事では、長年に渡って邪馬台国=大和説の立場から多くの論文を発表してきた歴史学者・門脇禎二さんが、人生の最晩年になって、病床の中で九州説に転じた件について紹介してみた。門脇さんを九州説に転向させたきっかけは色々と...
邪馬台国

(2)邪馬台国=大和説への不安、訣別、そして九州説へ 〜門脇禎二『邪馬台国と地域王国』〜

邪馬台国=大和説への不安邪馬台国=大和説の論者の一人に、著名な歴史学者で2007年に亡くなった門脇禎二さんがいる。昭和20年代から京都大学で学んだ門脇さんは、「三角縁神獣鏡」の研究から邪馬台国=大和説を主張した考古学者、小林行雄の演習などを...
邪馬台国

(1)邪馬台国畿内説の「萬二千餘里」は「記号的数値」か

「萬二千餘里」は「記号的数値」か邪馬台国の「謎」はつまるところ、その所在地の問題につきるだろう。昔から、魏志倭人伝の「方位」をとれば九州に、「距離」をとれば畿内(大和)に、で争われてきたそうだが、現代人よりは漢文が身近にあった新井白石や本居...
垂仁天皇

(8)田道間守の「常世」は伊勢か 〜但馬の降伏と皇祖神アマテラスの誕生〜

但馬の降伏と日本書紀の常世日本書紀によると、垂仁天皇はその90年(長浜浩明さんの計算で286年頃)に「田道間守(たじまもり)」を「常世国」に遣わして、「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探させている。非時香菓とは「橘」のことだという。田道間...
垂仁天皇

(7)出雲大神がホムツワケ皇子に祟る 〜出雲がヤマトに降伏した日〜

物部十千根が出雲の神宝を検校する日本書紀によれば、垂仁天皇はその26年(長浜浩明さんの計算で254年頃)、物部十千根に命じて出雲の「神宝」を検校させている。物部十千根はその「委細を奏上」して、出雲の神宝の管理者に任命されている。物部十千根は...
垂仁天皇

(6)豊受大神宮(外宮)の成立 〜謎の「高倉山古墳」と偽書『倭姫命世記』

外宮の謎の神、トヨウケとは豊受大神宮(外宮)が祀るのは、内宮で祀られる皇祖神アマテラスの食事係といわれる「豊受大御神」———だが、このトヨウケは謎の神だという。まず我が国で最初の正史「日本書紀」に、トヨウケは一度も出てこない。なので鎮座の由...
垂仁天皇

(5)皇大神宮(内宮)の成立 〜謎の「荒祭宮」と「相殿神」〜

皇大神宮成立の「通説」いきなり引用からで恐縮だが、伊勢神宮の成立についての昭和の「通説」は、以下のようなものだった。しかし、現在の歴史学者の研究では、『日本書紀』の伊勢神宮創建の記事は「信用できない」という。たとえば直木孝次郎氏によれば、崇...
垂仁天皇

(4)倭姫命はなぜ伊勢に行ったか 〜日本書紀の「天照大神」と「伊勢大神」〜

倭姫命はなぜ伊勢に行ったか日本書紀によると垂仁天皇25年(長浜浩明さんの計算で253年頃)の2月、天皇は5人の重臣を前にして「天神地祇の祭祀」の強化を詔している。その一環として翌3月、垂仁天皇はそれまで皇女「豊鍬入姫命」が大和の「笠縫邑(桧...