崇神天皇 (4)四道将軍「丹波道主命」〜丹後王国の終焉と椿井大塚山古墳〜 彦坐王と丹波道主王崇神天皇10年というから、長浜浩明さんの計算だと西暦212年頃、四道将軍の一人に選ばれて「丹波」の「教化」を担当したのが「丹波道主(たにはのちぬし)命」だ。丹波道主命の父は、第9代開化天皇の第三皇子「彦坐(ひこいます)王」... 2025.07.30 崇神天皇
崇神天皇 (3)四道将軍「武渟川別」〜東海の物部系国造と高尾山古墳〜 武渟川別と物部氏の東征崇神天皇10年(長浜浩明さんの計算で212年頃)、四道将軍の一人に任命され、「東海」の「教化」を担当したのが大彦命の子「武渟川別(たけぬなかわわけ)」だ。日本書紀によれば武渟川別は、のちの飛鳥時代に日本海側の東北地方を... 2025.07.28 崇神天皇
崇神天皇 (2)四道将軍「大彦命」〜北陸から会津へヤマトの拡張〜 孝元天皇と大彦命の親子関係日本書紀によると、第10代崇神天皇はその10年(長浜浩明さんの計算で西暦212年頃)、周辺国の「教化」を目的に、4人の将軍(四道将軍)を任命したという。そのうち北陸を担当したのが「大彦命(大毘古命)」。第8代孝元天... 2025.07.20 崇神天皇
崇神天皇 (1)オオモノヌシの祟りとアマテラス 〜崇神天皇と纒向遺跡〜 崇神天皇と疫病と大田田根子第10代崇神天皇の5年というから、長浜浩明さんの計算だと西暦209年頃、奈良盆地では人口の半数が死亡する疫病が蔓延したという。天皇は八十万の神々を集めて原因を占い、大和国の「大物主神」を敬い祀ればいいと言われたもの... 2025.07.12 崇神天皇