(12)「天富命」と忌部氏の東遷 〜出雲系の安房国造〜

阿波国一の宮「大麻比古神社」の社叢 神武天皇

『古語拾遺』のアメノトミ

奈良時代の前半ぐらいまで、中臣氏と並んでいた祭祀氏族が忌部氏だ。

690年の持統天皇の即位式では、まず物部氏の石上麻呂が「大盾」を立て、中臣氏の藤原大嶋が「天神寿詞」を読み上げ、続いて忌部宿禰色夫知(しこぶち)が「神璽の剣と鏡」を皇后に奉って、持統天皇が即位した、と日本書紀に書いてある。

日本書紀の神代(本文)には、天石窟に籠もったアマテラスを外に出そうと、中臣連のアメノコヤネと忌部氏のフトダマが祭具を揃えて祈祷したとあるが、神話が先か、現実が先かって話になるんだろうか。

天富命が太玉命を祀った「大麻比古神社」拝殿
(天富命が太玉命を祀った「大麻比古神社」)

やがて藤原氏の政治力で、祭祀氏族としての地位が低下した忌部氏(斎部広成)が、平安初期に異議申し立てのために撰述した神道書が『古語拾遺(こごしゅうい)』だ。

当然、古来忌部氏がいかに祭祀で中臣氏と肩を並べていたか、いや、凌駕していたかが主張の中心になるわけで、中でも目立つのが祖神フトダマの「孫」だとされる「天富命(あめのとみ)」の活躍だ(記紀には登場せず)。

てか、そもそも『古語拾遺』によれば、フトダマは「天祖」高皇産霊尊の娘、栲幡千千姫が産んだ三人の男神の一人で、皇室の祖「天津彦尊(ニニギ)」、大伴氏の祖「天忍日命」のに当たるのだという。

このとき、中臣氏の祖「天児屋命」は主に出雲系の神々の親とされる「神産霊神(かみむすひ)」の子、だとされるので、冒頭から露骨に差をつけているというわけ(虚しい悪あがきか…)。

『古語拾遺』岩波文庫

さて、無事に天孫降臨も終わり、いよいよ天富命が活躍する神武東征のあとの世界で。

天富命の最初の功績は、紀伊忌部の「手置帆負命」と「彦狭知命」を率いて山から木材を伐り出して、神武天皇の「正殿」を造営したことだ。続いて天富命は、忌部諸氏を率いて種々の「神宝(鏡・玉・矛・盾・木綿・麻など)」を製作する。

さらに天富命は、同族である「天日鷲命」の子孫を率いて徳島県「阿波」に渡り、神武天皇が大嘗祭で使う木綿・麻布の種を蒔きまくった。そしてそれでは足りなかったのか、阿波忌部の一部を連れて太平洋に乗り出すと、千葉県の「安房(総国)」でも麻・穀の栽培を広めたのだという。

この時、天富命が祖神フトダマを祀ったのが「安房の社」、今の「安房神社」だ。

館山市の「安房神社」
(館山市の「安房神社」拝殿)

天富命が創建した安房神社

安房神社は、安房国一の宮、名神大社、官幣大社と最上位の社格を誇り、全国でも8郡しか定められなかった「神郡」が設置されたことでも知られる古社だ。他は伊勢(二郡)、鹿島、香取、熊野(出雲国)、日前國懸、宗像なので、安房神社の格の高さが分かろうというもの。

といっても「神郡」はおそらく、朝鮮や蝦夷への外征の拠点に置かれてるようなので、もしかしたらそこからのアガリは軍備や兵站を賄う必要があったのかも知れない。

安房神社の鎮座地は「館山市大神宮589」なんてスゲー地名だが、古代史家・菱沼勇さんの『房総の古社』(1975年)によると、伊勢の外宮で主祭神のトヨウケと「相殿」してる三座の一柱がフトダマなので、その縁ではないかということだ。安房神社の本殿は、外宮の本殿とよく似ているという噂もある。

天富命を祀る安房神社「下の宮」
(天富命を祀る安房神社の「下の宮」)

そういえば安房神社の境内からは、昭和7年(1932年)に「弥生時代の洞窟古墳」が発見されて、22体分の人骨が出土したんだそうだ。当時の学者の鑑定では「弥生時代の日本人の骨」とのことで、菱沼さんも「天富命に従って来住した忌部の一族か、その子孫のものであろう」と書かれている。

んで実はこの推測、まんざら外れてはいないようで、館山市博物館のサイトによると、2005年の年代測定で、人骨の一部は「弥生時代後期にあたるBC50年〜AD60年」という結果が出てるんだそうだ。

長浜浩明さんの計算では、神武天皇の即位はBC70年頃ということなので、そのころ安房に渡った忌部の若者が20年後に亡くなったとすれば、意外とあり得る数字だと思う。

詳しくは「館山市佐野洞窟遺跡と安房神社洞窟遺跡~人骨の年代をめぐる問題」へ。

鴨川市の「清澄寺」
(鴨川市の「清澄寺」写真AC)

その後のアメノトミ

ところで安房国の開発に先鞭をつけた天富命は、その後どうなったのか。

菱沼さんによると、旧安房国界隈には、天富命は安房に永住して、安房で死去したという伝承があるそうだ。その墓所とされるのが、『空手バカ一代』で極真空手のマス大山が修行した「清澄山」・・・の隣りにある「富山」の山頂。

「富山」の名も天富命から出たというし、日蓮宗「清澄寺」の寺記には「本寺は天富命の廟であった」という記述があるのだとか(廟=祖先の霊を祀る場所)。

ただ菱沼さん個人のお考えとしては、天富命は大和に帰国して、大和で亡くなっただろうとのことで、その根拠は『古語拾遺』には安房開拓の記事に続いて、天富命が神武天皇の践祚大嘗祭で「天つ璽の鏡と剣」を捧げ持って正殿に安置し、祝詞を読んだ———と書いてあること。

さらにその後、神武天皇は宮中に「斎蔵(いみくら)」をたてて、忌部氏を神庫を司る職とした、というんだから、忌部の総帥が房総で野良仕事をしてる場合ではなかろう———という話で、これは完全に同意。

横浜市都筑区茅ヶ崎の式内社論社「杉山神社」
(横浜市の「杉山神社」)

その後の安房忌部氏

安房地方に残る伝承によると、天富命は安房に移住するとき、娘の「飯長(いいなが)姫」を伴ってきたのだという。

また、天富命には、同族である天日鷲命の子孫たちが従っていたが、そのうちの「由布津主(ゆふつぬし)命」が飯長姫と結婚し、二人の子で生粋の安房生まれの「堅田主命」が安房忌部の祖となって、安房神社の祭祀をつかさどってきたのだという。

そのユフツヌシを祀る神社が、房総を遠く離れた神奈川県にあった。横浜市都筑区茅ヶ崎に鎮座する「杉山神社」だ(多数ある式内社・杉山神社の論社のひとつ)。

菱沼さんの『武蔵の古社』(1973年)による当社の縁起はこうだ。

それによると、安房国の安房神社の社主の忌部勝麿という者が、天武天皇のころ、神託によって武蔵国杉山の丘に初めて神籠をたて、太祖高御産巣日神ならびに天日鷲命、由布津主(ゆふつぬし)命を祀ったのが杉山神社の始めであるという。

勝麿は由布津主命二十二代の末裔で、由布津主命は天日鷲命の孫である。曲布津主命は、初めて安房神社を祀った天富命の子の飯長姫と婚し、それ以来その子孫は安房神社に奉仕していたというのである。

『武蔵の古社』

さらに菱沼さんの『相模の古社』(1971年)によれば、神奈川県海老名市の式内社『有鹿神社』の主祭神は、江戸時代の国学者・鈴鹿連胤(すずかつらたね)が著した『神社覈録(じんじゃかくろく)』なる本の中では、忌部氏のフトダマだとされているそうだ。

こちらは天智天皇3年に「初めて神礼を行う」(惣国風土記)とのことなので、飛鳥時代の後半に安房から西へ人が移動するような、何か大きな事件でもあったんだろうか・・・(関東でフトダマを祀る神社は他にもあるんだろうけど、式内社では珍しいかと思って取り上げてみました)。

海老名市の「有鹿神社」
(海老名市の「有鹿神社」)

安房国造は出雲系?

天富命よりかなり後の時代になるが、「国造本紀」によれば成務天皇の御世(長浜さんの計算で在位320−350年頃)に、出雲国造家の祖神「アメノホヒ(天穂日命)」の8世孫ミツロギの孫「大伴直大滝」なる人物が、初代の「安房国造」に就任したという。

当時は「祭政一致」の時代なので、フツーに考えれば出雲系の国造がフトダマを祀るとは思えないのに、その一方で安房には出雲系の神々(アメノホヒやタケヒラトリ、またはスサノオやオオクニヌシ)を祀る式内社がない。

つまり祀られる側と祀る側が一致してないわけだが、初代安房国造の「大伴直大滝」なる人物が、出雲系であることは間違いないらしい。

菱沼さんによると、860年に「安房国々造」の「(大)伴直千福麻呂」が外従五位下を授かっているので、「大伴直」が安房国造であるのは疑いがない(『文徳天皇実録』)。一方、768年に本宗家の絶えた武蔵国造家を、「大伴直不破麻呂」が継いだという事実がある(『続日本紀』)。

んで天下の「記紀」には、武蔵国造は「出雲国造」の分家でアメノホヒを祖とする、とあるんだから、安房国造の大伴直も「出雲系」で問題ない———となるわけ。

『武蔵の古社』菱沼勇

この「大伴直」は、中央豪族の有名な「大伴連」とは別物で、朝廷で食材の管理や調理を担当した「膳(かしわで)氏」の配下として働いた部民(私有民)、「膳大伴部」を管理する地位にあった人のことを指すらしい。

景行天皇の東国巡幸で、食事係を担当したのは「磐鹿六鴈(いわかむつかり)」だが、安房に残ってその地位を受け継いだのが「大伴直大滝」の父。んで、次の成務天皇のときに、「大滝」が国造に指名されたのではないか———というのが菱沼さんのお考えだ。

ただ、この「大伴直大滝」が、本当に出雲系なのか、それとも出雲系の武蔵国造と「擬制的な」同族関係を結んだから、出雲系を自称しているのかは、何の資料もないので五里霧中のようだ(磐鹿六鴈は景行天皇の食事係に武蔵国造エタモヒを呼んでいるので、両者は面識はあったと思われる)。

というわけで、なんで安房国の祭政が一致してないかの理由は全く分からない。
どこかに書いてないものか・・・。

欠史八代(1)につづく

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