井手学太郎

神武天皇

(9)天日別命と伊勢津彦 〜「伊勢国風土記」逸文の倭姫命〜

アメノヒワケとイセツヒコ神武東征のスピンオフ?が、「伊勢国風土記」の「逸文」に載っている。アメノミナカヌシの12世孫という「天日別命(あめのひわけ)」による伊勢平定だ(出典は「万葉集注釈」)。熊野から兎田(宇陀)に軍を進めた神武天皇は、主力...
神武天皇

(8)熊野の高倉下と霊剣「ふつのみたま」〜熊野本宮・速玉・那智大社の物部氏

神武天皇はなぜ熊野へ行ったのか日本書紀によれば、河内の日下(孔舎衛坂)でナガスネヒコ軍と戦った皇軍は、流れ矢が長兄「イツセ(五瀬命)」の脇に当たるアクシデントもあって、苦戦した。神武天皇は「日の神の子孫であるのに、日に向かって賊を討ったこと...
神武天皇

(7)河内の物部氏と池上曽根遺跡の神殿と王 〜饒速日山と日下〜

ニギハヤヒの東遷と饒速日山の物部氏前回の記事では、民俗学者の谷川健一さんが提唱する「物部氏の東遷」のスタート地点である、北部九州における物部氏の分布をみてみた。今回はその続きで、瀬戸内海のつきあたり、東遷のとりあえずのゴールである河内周辺の...
神武天皇

(6)神武天皇は筑紫・岡水門(岡田宮)で何をしたか 〜遠賀川流域の物部氏〜

楽浪郡と東の「倭種」BC108年、漢の武帝は朝鮮半島に派兵して、今の平壌に楽浪郡を設置した。21世紀を生きるぼくらは中華帝国が朝鮮半島を直接支配しなかったことを知っているが、当時の北部九州あたりの住民には「まさか」の軍靴の響きが聞こえてきた...
神武天皇

(5)「海幸山幸」はヤマトに奪われた隼人の神話か〜二人のヒコホホデミ〜

日向神話とは出雲のオオクニヌシから地上世界(葦原中国)の支配権を「譲られた」天孫ニニギは、降臨すると山の神(大山祇神)の娘・カシツヒメを娶って山の支配権を獲得した。カシツヒメは「火中出産」で隼人の祖(海幸彦)、皇室の祖(山幸彦)、尾張連の祖...
神武天皇

(4)神武天皇の「天つ表(しるし)」とニギハヤヒの「十種の神宝」 〜物部氏と徐福の子女〜

神武天皇とニギハヤヒは「同族」か皇室の正史『日本書紀』によれば、神武天皇が東征を決意したのは「塩土老翁(しおつちおじ)」からニギハヤヒ(饒速日)が「天磐船」に乗って「東の美地」に飛び降りたことを聞いたことが、きっかけだった。長浜浩明さんの計...
神武天皇

(3)秦の「徐福」は有明海北部に渡来した 〜徐福の墓は吉武高木遺跡か〜

『史記』の徐福と安曇族海洋学の専門家、亀山勝さんの『安曇族と徐福』(2009年)によれば、始皇帝の命令で不老不死の霊薬を探しに出かけた「徐福」は、安曇族の案内で日本の九州に渡ったのだという。安曇族は春秋時代のBC473年に「越」に滅ぼされた...
神武天皇

(2)呉の「安曇族」が弥生時代に志賀島を拠点に水田稲作や養蚕を広める

呉から渡来した安曇族「紀元前500年頃」「長江下流域」からイネを携えて日本列島に渡ってきた人たちがいた。それをBC473年に滅亡した「呉」の遺民だと考えた研究者は、過去にも結構いたようだ(斎藤忠、佐々木高明、岡正雄など)。ただ、その呉からの...
神武天皇

(1)中国大陸から朝鮮半島を経由せずに日本に「稲作」を持ち込んだ人たち

歴博年代への疑問考古学者の石野博信さんは、著書の「第二章 弥生誕生」を、「前500年頃、北部九州の一画で水稲農業が始まった」という一文から始めている(『弥生興亡 女王・卑弥呼の登場』2010年)。もちろん、この道のプロなので2003年に歴博...
古事記と日本書紀

(11)古事記を書いたのは長屋王か 〜皇祖神タカミムスビは藤原不比等か〜

アマテラスは皇祖神か神話学者の松前健さんによると「確実な記録のうえから、実際にアマテラスを宮廷でまつったことは奈良時代までなかった」という。927年に成立した『延喜式』の祝詞でも、アマテラスは「祈年祭」と「月次祭」で他の神々の一番最後に(皇...
古事記と日本書紀

(10)古事記を演出したのは藤原不比等か 〜サルタヒコを殺すアメノウズメ〜

古事記成立の三段階説と藤原不比等国文学者の神田秀夫氏によれば、音訓と字句の分布状況からは、古事記本文の成立過程には「古層(敏達朝前後)」「飛鳥層(舒明朝前後)」「白凰層(元明朝前後)」の三段階が想定できるのだという。(『六国史以前』関根淳/...
古事記と日本書紀

(9)古事記と朝鮮神話はなぜ似ているのか 〜檀君神話と天孫降臨〜

騎馬民族征服王朝説と朝鮮神話古事記と日本書紀(本文)の違いには、古事記には「朝鮮神話」との類似や親和性があることも挙げられると、ぼくは思っている。その背景には、例によって「蘇我氏」の存在があるような気がするので、このタイミングで軽く取り上げ...