(10)大伴氏の「道臣命」と神武天皇の顕斎 〜皇祖神はアマテラスかタカミムスビか〜

高天彦神社社叢 神武天皇

名将「みちのおみ(道臣命)」登場

日本書紀によれば、熊野の山中で遭難した神武天皇の夢にアマテラスが現れて、先導者としてヤタガラスを派遣したと告げてきた。このヤタガラスを追って、皇軍を宇陀まで導いたのが、大伴氏の遠祖「日臣(ひのおみ)」で、神武天皇は先導の功をほめて「道臣(みちのおみ)命」の名を与えたという。

ここからの道臣命の活躍は目覚ましく、土豪「兄猾(えうかし)」の計略を見抜いてこれを誅殺したかと思えば、女装して天皇の「顕斎(うつしいわい)」の祭主をつとめたり、賊を饗宴に招いて騙し討ちで一網打尽にしたり、即位式では「諷歌(そえうた)」と「倒語(さかしまごと)」で妖気を払ったというから、武力や知略はむろんのこと、祭祀や呪術にも長けた人物だったらしい。

のちに継体天皇は、人材の大切さについて詔するとき、神武天皇には道臣命がいて、崇神天皇には大彦がいた、と引き合いに出しているし、「磐井の乱」平定を命じられた物部麁鹿火も、天皇を助けた名将として、道臣命の名前を挙げている。

『大和の豪族と渡来人』加藤謙吉

なお、道臣命はいつも「大来目(おおくめ)」という部隊を率いて行動しているが、歴史学者の加藤謙吉さんによると「大伴」は「多くの軍事的トモを抱える大伴造に成長した時点で、二次的に付与された称」だとして、大伴氏のもともとのウジ名は「来目」だったと考えるのが自然な解釈だと書かれている。

大伴家持による長歌や、来目集団の戦闘歌舞「久米舞」を大伴氏が伝承、奏したことなどが根拠になるようだ。
(『大和の豪族と渡来人』2002年)

高皇産霊尊を祀る「高天彦神社」
(高皇産霊尊を祀る「高天彦神社」)

顕斎(うつしいわい)とタカミムスビ

日本書紀で「天つ神」が神武天皇に関与してきたのは3回。

一回目は、熊野で昏睡状態にある神武天皇を助けるため、高倉下の「夢」に現れた天照大神と武甕雷神。

二回目は、熊野の山中で遭難した神武天皇の「夢」に現れ、ヤタガラスを遣わしてきた天照大神。

三回目は、宇陀で皇軍を取り囲むように蟠踞している賊軍に、敵愾心を燃やす神武天皇の「夢」に現れて助言を行った「天つ神」。

すると夢に天神があらわれて、つぎのように教えられた。
「天香山の社の中の土をとって、天平瓮八十枚を作り、あわせて厳瓮を作って天神地祇を敬い祭れ。また厳呪詛をせよ(潔斎して呪言をとなえよ)。こうすれば賊は自然に平らぐであろう」
と仰せられた。
天皇はつつしんでその夢の訓を承って、そのとおりに実行しようとされた。

(『日本書紀(上)』中公文庫)

天皇は、「椎根津彦(珍彦)」に老翁、「弟猾(おとうかし)」に老女の格好をさせ、賊軍の油断をついて天香山(あめのかぐやま)の土を入手した。それで天つ神の言われるとおりに土器を揃えると、丹生(にう)の川上で天神地祇を祀った。

丹生川上神社「中社」
(丹生川上神社「中社」写真AC)

つづけて天皇が「うけい」を行うと、二回とも吉と出た。天皇は喜んで神々を祀ると、道臣命を女装させて「厳媛(いつひめ)」と名付けると、天皇自らを高皇産霊尊(たかみむすひ)の憑り代とする「顕斎(うつしいわい)」の祭主に指名した。

天皇が「厳瓮の粮(神饌)」を食して神の加護を受けると、その後は連戦連勝。最後はレジスタンスの大将・ナガスネヒコに苦戦したが、舅であるニギハヤヒが長髄彦を殺害し、全軍率いて皇軍にくだってくることで東征はほぼ完了した。

即位した神武天皇はその4年、斎場を鳥見山の中に立てて、「皇祖の天神」を祭っている。

「わが皇祖の神霊は、天より降りみそなわして、私の身体をてらし助けたもうた。
いまもろもろの賊どもを平定して、海内は事件とてないほどよく治まっている。
そこで天神を祭って大孝の志を告げ申し、お礼をいたしたい」

(『日本書紀(上)』中公文庫)

このとき神武天皇が祭った「皇祖の天神」とは、「天より降り」というんだから「夢」に出てきただけのアマテラスじゃなくて、「顕斎」で天皇の身体に寄り付いたタカミムスビのことを指すのは疑いのないところ。神武天皇が神助に感謝した「皇祖神」は、高皇産霊尊のことだと日本書紀は書いているわけだ。

タカミムスヒは大嘗祭では「田の神」として祭られるそうだが、「顕斎」の一件は、ちょっと早い大嘗祭と考えればいいんだろうか。要は、天皇に必要な「霊力」のフルチャージだ。

道臣命を祀る「刺田比古神社」
(道臣命を祀る「刺田比古神社」)

大嘗祭のタカミムスビとアマテラス

天皇が即位して初めて行う「新嘗祭」が大嘗祭だが、祭神をアマテラスとする資料は、鎌倉時代にならないと出てこないんだそうだ。

んじゃ、どなたが大嘗祭で祭られてたかというと、神話学者の三品彰英氏が提唱して以来、有力視されているのが「御膳(みけつ)八神」。そのメンバーは、「大嘗祭に供される稲や神饌、斎場の設営など、祭儀全般をつかさどる」神々だ。
(『古事記外伝』藤巻一保/2011年)

ミトシ(御歳)神 稲米の神
タカミムスヒ(高御魂)神 産霊の神
ニワタカツヒ(庭高日)神 祭の庭や竈の火の神格化
オオミケツ(大御食)神 神饌の神
オオミヤノメ (大宮女)神  新嘗の準備に奉仕する女神
コトシロヌシ(事代主)神 言霊の神(祭典の呪詞や神の託宣をつかさどる)
アスハ(阿須波)神 斎場の斎柴の神格化
ハヒキ(波比岐)神 竈の灰に関係した神

(『古事記外伝』)

古事記外伝』によれば、神話学者の松前健さんは、御膳八神こそが皇室の「守護神・氏神」で、その中心は「農耕神」の高皇産霊尊だ、と書いているそうだ。つまりは、日本人の命である田んぼの神ってことだろう。

新嘗祭と並ぶ重要な宮中祭祀が、6月と12月の「月次(つきなみ)祭」で、ここでは天皇は「旧穀」で神饌を備えて神々と一緒に食事を摂る。この月次祭の祝詞で、最初に祈りを捧げられるのが「宮中八神」の神々だ。

カミムスヒ(神魂)神 産霊の神
タカミムスヒ(高御魂)神 産霊の神•皇祖神
イクムスヒ(生魂)神 生命を生み出す霊威をもつ産霊の神
タルムスヒ(足魂)神 生命を充足させる霊威をもつ産霊の神
タマツメムスヒ(玉留魂)神 生命をしっかりと留め鎮める霊威をもつ産霊の神
オオミヤノメ (大宮女)神 月次の準備に奉仕する女神
ミケツ(御膳)神 神饌の神
コトシロヌシ(辞代主)神 言霊の神(祭典の呪詞や神の託宣をつかさどる)

(『古事記外伝』)

なかでも五柱の「ムスヒの神」が八神の主役で、あとの三柱は「事務方」の神々だという。そして五柱のうち、大嘗祭でも祭られる「ムスヒの神」は高皇産霊尊のみ・・・ということで、『古事記外伝』でもタカミムスヒこそが「天皇の守護神中の守護神であり、もっとも重んじられてきた本来の皇祖神」だと結論づけている。

『古事記外伝』藤巻一保

では月次祭でのアマテラスへの祈りはというと、これが「ずっと後ろにまわされている」そうで、井戸の神、斎場の柴の神、竈の灰の神、門の神・・・生く国・足る国(八十島神)に続いて、ようやく「伊勢に坐す天照らす大御神」が登場するとのことで、「この序列は、どうみても低すぎる」とのこと。

しかも、戦後の歴史学の発展で、月次祭祝詞のアマテラスの部分は「後世の付け足し」であることが論証されてしまっているのだとか。

もちろん!日本書紀が編纂されていた時代にアマテラスが「皇祖神」と見なされていたことは疑いようのいない事実だが、古代の天皇が、直接にお祭りされた重要な宮中祭祀で祈りを捧げられた皇祖神は、高皇産霊尊だったという話か。

天孫降臨神話における神々の一覧表
(出典『天皇はいつから天皇になったか?』平林章仁

「皇祖神入れ替え説」への批判

といったかんじで、もともとの皇祖神はタカミムスヒ一本だったが、(時期には諸説あるものの)次第にアマテラスが並立するようになり、やがてはアマテラスで一本化されていった———という「皇祖神入れ替え説」には、とくに何も問題がないような気もするが、思いっきり否定される先生もいる。

ぼくが読んだのは、歴史学者・平林章仁さんの『天皇はいつから天皇になったか?』(2015年)。

論点はいつもあるが、一般人のぼくが興味を持ったものというと、日本書紀では最初に「皇祖神」と冠されたのは確かに高皇産霊尊だが、それはオシホミミに娘を嫁がせて、ニニギが生まれてからのことなので、それ以前のタカミムスビは「単に外戚の立場に過ぎない」。つまり皇祖神ではない。

それと、平安時代の氏族台帳『新撰姓氏録』には、タカミムスビを「祖神」とする氏族が、大伴や忌部をはじめ123氏族も出てくるが、そんな”みんなの氏神”では「天皇家の宗教的聖性や権威を保持することが可能であったか、疑問に思われる」。つまりは皇祖神ではない。

さらには、上の表にもあるように「天孫降臨」の司令神にはタカミムスビとアマテラスで多様な組み合わせがあるが、「天照大神が登場する伝承は天皇家に近い立場のものであり、タカミムスヒが登場する話はそれから距離のある立場の伝承である」から、司令神の名が安定的でないことは「皇祖神入れ替え説」の根拠にならない———。

『天皇はいつから天皇になったか?』平林章仁

———てなあたりが平林さんによる、主な「皇祖神入れ替え説」批判になるかと思うが、上の方でみたように、日本書紀の神武天皇がどちらを皇祖神として祭っていたかは明らかで、平林説は少々、分が悪いような印象がある。

ちなみに日本書紀の神武天皇は、ヤタガラスを遣わしてくれた天照大神を「皇祖」と呼んで感謝しているが、『古事記』ではヤタガラスは「高木神」のお遣いになっているし、人間やっぱり何を言ったかより、何をやったかに真実があると思う。

それとタカミムスビを多くの氏族が「祖神」にしている点は、飛鳥時代あたりまでの古い時代は神武天皇が言われた「八紘一宇」の精神で、高天原以来の古豪とはタカミムスビを共有していたものの、それじゃー中央集権の律令国家には不都合だとして、天武/持統が天皇専用の祖神としてアマテラスを創造したって可能性はないだろうか。

ちなみに伊勢のアマテラスはマジ(本気)で天皇専用で、皇后や皇太子でも勝手に祭っちゃいけなかったそうだ。

最後の、天孫降臨の司令神がアマテラスだと「天皇家に近い立場」というのは、どう理解したらいいのか良く分からない。日本書紀の本文(正伝)の司令神はタカミムスビだが、平林さんが「至当」という説によれば、本文(正伝)は皇室から「距離のある立場の伝承」ということになってしまって、意味が分からない。

それなら最初から、アマテラスが単独で司令神になっている第一の「一書(参考文・異伝)」を本文にするのが当たり前のような・・・。ちなみに「一書」は本文より小さなフォントで書かれていて、現物を見ると落差を強く感じてしまう(関連記事)。


・・・あれ? なんか一般人が生意気にも専門家にケチつけてるみたいになってるけど、平林さんの『葛城氏』『蘇我氏』の新書は何度も読んだ愛読書で、この本も「皇祖神入れ替え説」への批判のとこ以外は、楽しく学べてますんで。

(11)につづく

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