景行天皇

景行天皇

(1)景行天皇の即位 〜3世紀後半の日本〜

「纒向」の完成へ日本書紀によればAD71年、第12代景行天皇は「纒向日代宮」で即位した。長浜浩明さんの計算だと、それはAD290年のことで、そのとき景行天皇は24歳だった。崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇の三帝の皇居があったのが、いわゆる「纒向...
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(2)景行天皇と五十瓊敷入彦命 〜メスリ山古墳の被葬者は〜

景行天皇はなぜ都を空けられたのか播磨国風土記の「賀古郡」の記事に、景行天皇が「印南の別嬢(わきいらつめ)」に求婚したエピーソードが出ている。天皇は摂津から明石、そして「別嬢」が住む島にまで自分の足で旅をして、めでたく結婚に持ち込んだというが...
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(3)景行天皇と東之宮古墳/青塚古墳 〜狗奴国東海説は成り立つのか〜

景行天皇の美濃行幸日本書紀によると、第12代景行天皇はその2年、播磨の稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)を皇后に立てたという。この女性が産んだ子が、オオウスとオウス(ヤマトタケル)の双生児だ。景行天皇が次に娶ったのが、美濃に住む皇族・八坂入...
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(4)古事記と日本書紀で違うヤマトタケル 〜オオウスを殺したのは蘇我馬子か〜

古事記と日本書紀で異なるヤマトタケル一般的には「記紀」と呼ばれ、ひとつの歴史を別の言葉で語っている兄弟のように思われている古事記と日本書紀。しかし、その成立や立ち位置をはじめ、異なる部分はかなり多い。ぼくが、特に違いが目立つと感じるのが、第...
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(5)ヤマトタケルと成務天皇は同一人物か 〜倭武天皇と市辺天皇〜

常陸国風土記の「倭武天皇」日本書紀と同時代の、721年に成立したとされる地誌が「常陸国風土記」だ。そこでは、皇太子にも指名されないまま、30歳で病没したヤマトタケルが「倭武天皇」の名で12回も登場し、「橘皇后」と幸せな人生を送っている。とい...
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(6)景行天皇と三角縁神獣鏡 〜石塚山古墳と赤塚古墳の被葬者は〜

熊襲はいつ降伏したのか日本書紀によると、第12代景行天皇の九州親征が始められたのは、その12年8月のこと。長浜浩明さんの計算によるなら、西暦296年頃のことになる。景行天皇が親征を決意した理由について、日本書紀は「熊襲が叛いて朝貢しなかった...
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(7)景行天皇と熊襲と狗奴国 〜生目古墳群の被葬者は〜

生目古墳群の被葬者は日本書紀によると、朝貢を拒否した熊襲を討つべく、第12代景行天皇が日向に「高屋宮」を建てたのは12年11月のこと。長浜浩明さんの計算だと、西暦296年頃のことになる。天皇は高屋宮で軍議を開き、「熊襲梟帥(たける)」の娘を...